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ゆらのふなびと

競プロ, Python, C++

『「自分」に執着しない生き方』2章

 

2章は「逃げずに生きられるか」。主旨はタイトルそのままかな。

 

1章に関連

自分だけは特別だという考え方そのものが、その人を悩ませているのである。
自分中心の世界観はやめろと。そういうお話でした。 
 

逃げるな

ばっと引用してから自分の言葉でまとめてみます。

1.今一度大変なことから、一歩後退したらもうおしまいだということである。後退すればいよいよそれがいやになる。そして破滅のところまで追いやられる。
2.さらに一歩逃げる、そうすれば、今まで何でもなかったものが、急に自分の障害に見えてくる。
3.どこに行ったって嫌なことはある。人間は嫌な事、つらいことがあると、どうしても逃げることを考える。しかし、その逃げた場所にもやはり嫌なことはあるのである。
4.そのドイツ語を逆にマスターすることによって、その授業が辛くなくなるように生きなければならない。
5.困難をさらに大なる困難によって突破する
6.困難に負けるのは自分が弱いからか、自分が間違っているからである。
(番号は記事筆者による)
 
 1.辛いからと言って簡単に逃げてはならない。なぜかといえば、2.逃げることによって、自分が「困難」と感じるその閾値が下がるからだ。そうすると、今まで辛くなかった事(A)も辛いと感じてしまうようになる。するとAからも逃げ、また困難の閾値が下がり、Bからも逃げ…という負のスパイラルに陥ってしまう。つまり、逃げるという行為は短期的には魅力的でも長期的には悪である。
 
 また、3.逃げても楽になれるわけではない、ということも言える。なぜなら、
  • 理由1:逃げた先で出会う困難を、自分は依然として「困難」と感じてしまうから(逃げたせいで、強くなれていないから)
  • 理由2:「生きがいの喪失」(逃げのうしろめたさ。あるいは逃げないことからえられる頑張ってる感=(?)生きがい を得られないことによる)

 

 以上のことから、4.逃げるのではなく、向き合うことで自分がそれを「困難」と感じないようになる方がいい。逃げてばかりでは、閾値が上がらないどころか下がっていくだけ。逃げを繰り返していたら自分ができることなんて何もなくなってしまい、やることも居場所も失われるだろう。これ即ち生きがいの喪失。まさに「破滅」。

 

※書いてて思ったけど、これは1章の「自分だけが楽できると思うな」という主張にもつながるのだろう。嫌なことから逃げてばかりで、おいしいとこだけとって生きられると思ったら大間違いだ。おいしいとこを味わえるのは、そのおいしさと表裏一体な苦しみを乗り越えた人だけ。

 

※※苦しみを徹底的に遠ざける人生もありではある。ただその場合、苦しんでもいないのに「私は幸せになれない」とか「みんなわかってくれない」とか言うなという話である。代価を支払っていない人間に報酬を求める資格はない。『弁えよ!』(ダークファルス・エルダー)

 

 で、向き合うわけですが、それだけでは閾値の現状維持はできても、上げることは難しい。では閾値を能動的に上げるためにはどうしたらいいかと言うと、5.もっと大きな困難を乗り越えればよいと。確かに実感は湧きます。SHのボスやったあとだとVHのボスが簡単に思えるあれでしょ?

 

 これだけ聞くとこの人やっぱりマゾ論者な気がしますが、きっと困難に挑む「ペース」は人それぞれでいいのだと思います。テニスで世界一を目指す人はそりゃあ全国大会とかアジア大会とかがんがん挑戦したらいいでしょうけど、息子に教えられるくらいになりたい!って人なら町のテニススクールで自分よりうまい人とやってみるとか、そのくらいでいいでしょう。

 

 私としては自分の適性レベルでのんびりやるだけでもいいじゃないかと思うんですが、ずっと同じところにいるとやっぱりマンネリしてしまうので、そんなときには「より大きな困難」を考えてみるといいのかもしれませんね。(というかあれだ、「新しいことに挑戦!」ってやつだわ)

 

 最後に、6.困難に負けてしまうのは、

  • A:自分の閾値が低いから
  • B:自分の本性に適していないから

のどちらかだと。Aの場合は先述の方法(逃げない&新しい挑戦)で克服化。Bの場合もあるので考えてみよう。(義務感でやってるときとか)

 

 

おわり!