ゆらのふなびと

競プロ, Python, C++

「君は一流になるよ。だってイッてるもん」

バイト先の塾長に言われた言葉。

私がイッてる……? そう思った。私は別に普通の人間だ。身長170センチとちょっとのやせ形でメガネ。ファッションには気を遣わずワックスを自分でつけたこともない。夏休みはエロゲとアニメとラノベに費やし最近ではネトゲにまで手を出し始めたという凡庸な大学生だ。その私をあの人は「イッてる」と言う。

それはあの人が、あの教室で働く私しか知らないからだろう。連絡にはすぐに返信し、頼まれもしないのにファイルを整理し、最終コマ終了後は率先して外に出ている旗を片づけ、本部研修では後輩を引率し、仕事を粗相なくこなし、講習前には教室にこもって授業計画を立てているような私しか。それは私の一面を見ているにすぎない。私の意図も、今の私の冷めた思いも、新入りの頃はサークルからここに逃げ込んでいただけだということも、その他もろもろの負の感情や手抜きもそこには勘定されていない。ただの表層。

でも、自分の中に人からこんな風に評価される一面があるということは、素直に嬉しい。

「いや、本当はこうなんだ」と否定するのは簡単だ。でも、私がどんな人間かを決めるのは私だけではない。他者から見た私だって、立派な「私」のはずだ。私が見ている私は、他者が見ている私と同様に「一面」に過ぎない。ならば他者の見た私も、私が見た私と同じ価値を持つと考えていい。

さっき私は、相手が見た私を「表層」呼ばわりしたが、それは「私のほうが私を知っている」と思っているからだ。それはちょっと高慢。

 

「夏ごろから何か変わったでしょ?」と訊かれた。私は「好きなことをして生きられるようになりたい、という想いが強くなった」と答えた。そしてそのきっかけが3月の祝勝会、受験を終えた生徒たちを労う会でベテランの先生2人と塾長が言っていたことだと言うと、「やっぱりイッてるよね」と言われた。「イッてる」というのは、人と違う感覚を有しているとかそういうことなんだろう。決して侮蔑的な意味ではなく愛着を込めてよく仲間と言い合う、とのことだった。

 

尊敬している人に「君は一流になるよ」なんて言わるのは嬉しい。舞い上がってしまう。でも、一流になることを目標にしたところで意味はないのだろうと思う。完全とは、完全を諦めることでしか達成されないのだから。

最近はもはや、結果に価値を求めることが無意味なんじゃないかとすら思っている。幸福とは、幸福へ至ろうとするその過程である。強さは結果じゃなく、そこを目指す過程の中にこそ。前者は『いなくなれ、群青』、後者はSAOファントム・バレット編の受け売りだね。

いやーファントム・バレット編よかったな……なんていう話をしているといつの間にかSAOの記事になってしまうので今日はこの辺で。