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ゆらのふなびと

競プロ, Python, C++

『ギャングスタ・リパブリカ』第1部(体験版以降)感想

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ギャングスタ・リパブリカ感想、第1部の体験版以降です。

 

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『ギャングスタ・リパブリカ』体験版 感想 - ゆらのふなびと

 

悪は、他者の評価を顧みない

他者からの評価は必要ない

悪はただ、悪のためにのみ活動する。独善的――

訂正する。独悪的

悪は「常識」「一般」に囚われない自分だけの価値尺度。自分の幸福用に最適化すればいい。人の目を気にして自分の幸福を押さえつけるのは主客転倒。

 

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それでも、部長はそういう自分の「無能」を引け目に感じない。そういう常識を持ち合わせていない。
いや、そういう常識を「持たねばならない」という常識すらない。

部長はこの点ではモラトリアムというより子どもなんだと思う。自分の価値観に対する反論に気づいていない。そのまま生きていければ幸せ。こういう人に「一般」を押し付けるのは普通の意味で悪。

「無垢」って最強の超然かもしれないね。

 

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なんとなくわかった。このピュアさが、きっと部長の『ガラクタ』なんだろう。世の中の悪意なんてきっとその存在にすら気づいていない。部長の心はきっと真っ白なんだ。
その純白さには一点の瑕疵もない。
きっと誰でも、生まれたときにはみんなそうなんだろう。けれど生きていく過程で汚れ、傷つき、その白さはどんどん損なわれていってしまう。
だけど部長は違う。
この歳になっても宝石のように美しいままの、奇跡のような存在なんだ。
それだけに本当はもろく壊れやすい。
だから周囲はみなその美しさを守ろうと思うのだし、守りたい、守らなければと必死になる。自然にそう思わされてしまう。
それこそが部長の王者としての資質。周囲をひきつけてやまない魅力の源。

『ガラクタ』について、「無自覚⇒ガラクタ⇒ゴミ」というモデルを提唱したい。
子どもは躊躇なく自分のしたいことをできる。飾らずに話せる。人の世界に飛びこんでゆける。子どもにとって、自らの宝石は自分ですら認識できていない状態。
少し成長すると、周囲の人間、主に大人と、自分の価値観が異なっていることに気づき、圧力を感じ始める。すると今まで自分にとって当たり前だったことに対して不安を抱き始める。このとき、自分の中にあった宝石は『ガラクタ』として認識されることになる。これを「モラトリアム」の始まりと言ってもかもしれない。
大人になることは、多くの部分で『ガラクタ』を『ゴミ』に変えていく過程だ。

だとすれば、ガラクタをガラクタの段階で止め続けること。モラトリアムとして生き続けること――これが一番の幸福だということになる。
だからこそこおり√の後日譚ではループし続ける学園が実現されたのだろう。理想論かもしれないけど、それでもこおりが初めて叶と同じクラスになったと喜んでいたあの最後のシーンで、私はここには確かに幸せがあるのだと感じずにはいられなかった。
もちろん、こおりたちがやったように社会全体を変えるというのはいささか非現実的だ。だとしても、個人として「モラトリアム」であり続ける事はおそらく可能。
現にそれをやってのけているのが希だ。希は子供の価値観のままで大人の世界を渡り歩いている。自分の価値観が「子供の価値観」だと知りつつも。自分の大事にしているものが『ガラクタ』だとわかりつつも。それでも彼女は「覚悟」があるから歩いてゆける。自分が周りと違っていようと、自分の『ガラクタ』を捨てないという覚悟。
「悪は超然。はなはだ魅力的――」

ゆとりさんについては、第2部『悪の器』も参照。

 

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はしゃいでたのは別に恥ずかしがることないだろ。こういうのはバカになったほうが利口なんだよ
人間は感情の生き物だから、同じ出来事でも感情次第で意味が変わってくるだろ?
気持ち次第で楽しくもつまらなくなる。だから、思いっきりバカになって楽しんだ方が物事は楽しめる
バカになるっていうのは自分を守るガードをなくすってことだ。ノーガード戦法ってやつだな

人間は無意識でいつも自分を守ってるからさ
でもそうやって壁を作ってると、悪いものから身は守れるけどいいものも弾いてしまうことになるんだよな
だからたまに壁を取っ払わないと
もしかしたらそれで傷つくこともあるかもしれないけど、楽しいことはめいっぱい楽しむことができるだろ?

好奇心に従順であること。子供の心を持っていれば、世界はいつでも新鮮な驚きを与えてくれる。世界の濃度がぐっと上がる。
壁を作るとして、その中には自分の幸福を押しつぶしてまで守りたいものがあるのか? 単にインストールされた常識の弊害にすぎないのかもしれない。だったら自分の楽しさを優先すればいいし自分を攻撃しない人とつながっていけばいい。

「同じ出来事でも感情次第で意味が変わってくる」については、叶にとっての『悪』も同じ意味を持つと思う。叶は人助けでもなんでも自分なりの理由をつけて『悪』だということにしてしまう。こおりは「ちゃんと評価されようとしなさい」と怒るわけだが、これは筋違いだ。叶にとっては一般的な善悪、人に褒められることではなく『悪』という自分にとっての尺度の方が価値を持つ。だったら、『悪』の尺度で様々な物事を読み変えてしまえばいい。そうすれば「自分にとって」楽しくなる。
読み替えによる価値の上昇。他者からの評価ではなく「独悪的」。

 

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私は叶と一緒に救世主になる
叶がその約束を破らない限り、私は叶の側にいると決めた

俺が救世主になれなかったらどうするんだよ?

叶ならなれる

じゃあ、俺が約束を破るっていうのは?

叶が、救世主になることをあきらめること
それはつまり、叶が『心の中のガラクタ』を捨てるということ

……捨てねーよ
捨てるわけないだろ
それに、これはガラクタなんかじゃない。俺達で背負うって決めた、宝物だ
俺が禊と一緒に背負っていくことにした宝物なんだ
だから、絶対に捨てない