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ゆらのふなびと

競プロ, Python, C++

『ギャングスタ・リパブリカ』体験版 感想

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「悪は孤独。わりと納得的」

 

やっぱエロゲ楽しいわ―。

『悪』とは何か?

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「子どもの探究心を大人の策略で実現するのが悪なんだ」

「子どもの探究心」=みんなが捨てていった、自分だけの『ガラクタ』
「大人の策略」=人がそうしたいと思うのとは違うやり方
と捉えると、次の発言に繋がる。

 

「人がそうしたいと思うのとは違うやり方で、人がそうなりたいと思うことを実現すること」

目指す場所が同じでも、そこにたどり着く方法は一つではない。自分の好みでも美学でも、なんでもいい。他の誰でもない自分が望む方法を選んだらいい。

 

「悪は孤独。わりと納得的」

世間には「多数派」というものが存在する。大半の人は「一般的な価値観」で動いている。悪はそこから外れた流儀。それは多数派からの弾圧を受ける。だからこそ、

 

「悪は超然。はなはだ魅力的」

自分の流儀を貫くには、超然が必要。人の目を気にせず、「自分がこうしたい」という自分の気持ちに従順に動けばいい。他の人が捨ててしまったものを、人にどういわれようと自分は大事にし続けられるのなら――それははなはだ魅力的なことではないだろうか。

 

「……稚咲くん、他人の思惑に合わせて動くのは悪じゃないと思わない?」
「生徒会にこういわれたから、じゃあこうする……っていうのは、ちょっと悪とは違うと思うの」
「悪は、自分の都合のみで行動するもの……でしょ?」

「人にどう思われるか」「一般的にどうすべきか」は悪の価値基準ではない。悪は孤独。悪は超然。誰かが捨ててしまったガラクタを自分は大事にし続けること。


人の固有性

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「人にはそれぞれ自分に合ったペースがあるんだ。画一的な尺度を誰にもあてはめるのはよくないぞ」

「叶の発言が正しい」

「人は固有性を備える。画一的な管理は困難」

「普通」「常識」で管理できるのは「多数派」の人々だけ。だからこそ誰にもどこでも通用する理論を考えようとすること自体無意味。自分の価値観があくまで「自分の価値観」あるいは「多数派の意見」であることを自覚したうえで、それ以外の価値観も存在し得るのだという「想像力」を持つことが必要。メタ認知。バイアスの枠を越える。
では相手によって対応を変えるのが正解か? しかし一般的に、心情の推察は困難。相手がどう思うとか勝手に決めて動くよりも、干渉しあわないスタンツを誰に対しても取った方がいいんじゃないか。人は地続きの大陸というより小さな島々に近い。連絡船を出すのは相手の許可が降りてから。求められてもいないのに食料を届けるのは迷惑でしかない。
ケースバイケースだけどね。

 

「心配無用。私と叶の問題は、私と叶で解決する」

人はみな固有性を備えている。同じ事象・人物に対してもどう感じるかは人次第。こおりに「バカ」と言われる叶でも、禊には「救世主の資質を確信」されていたりする。故に自分の認識だけをもってして相手の行動に口出しすることはできない。それは自分と違う認識が存在するという想像力の欠如。はなはだ盲目的。

 

「まあ、私は無理だと思うけど」

「その一言は余計だ」

「私の兄はバカだ」
「そのバカをバカにするのは自由であり、かつ正当な評価だが、バカがバカなりに励むさまを嘲弄するのは私の許容範囲を超える」
「そのような行為は、私自身を嘲弄したものと受け取る。それが私の信条だ」

「私自身を嘲弄したものと受け取る」というのは、自分の信条を侵されたからなのだろう。守りたいものがある人には、必ず敵が存在してしまう。自分が守りたい人・価値観・世界を傷つける者=敵から、守りたいものを守らなければならない。
逆にいうと、守りたいものが何もない人には敵なんていないのかもしれない。自分の命が大切でなく死を恐れていない人にとっては、自分に刃を向ける人でさえ敵ではないのだし。

 

「……そもそも、趣味や特技や思想など、本質的に自分で決められるものじゃない」
「少数派に属する個性を持った人間が邪険に扱われるとしたら、それは差別以外の何ものでもない」
「そして体裁というものが通常多数派の定めたものである以上、少数派がそれに則ることが難しいのはあたりまえのことだ」

「われわれはここで生きている。いま現に生きている者を排除するもの――」
「それは、ただの略奪者にすぎない」

固有の体験が、固有の価値観を形成する。それらは千差万別にして制御不可能。その多様な一人一人の心象世界を単一の色に染め上げることは無意味。人の大事なものを否定する権利は誰にもないし、個々人が勝手に自分の大事なものを大事にできる世界の方が理想のはず。ならば世界がそうなるようなスタンツ=不干渉の姿勢を持つべき。
そもそも「自分が好きなものを人も好きじゃなきゃ気に入らない」というのが高慢。インベーダーの思想。「そんなもの好きでいても仕方ないでしょ」「そんなの意味ないと」と人の『ガラクタ』を奪うのは、まさしく略奪者というべきだ。
ちなみにシャールカはこれを「歴史のささやきを聞いた」って言ってた。それを見て、歴史⊂教養って考える土台、というか土壌になるんだなと思った。土壌が豊かなら、それだけたくさんの美しい花が咲くだろう。

 

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「遠雷。――夏が近い」

来年の夏になったら使おう。わりと季節的。

 

「感謝することを感情の浪費と考える信条はない」

これいい言葉。感情というのは経験から湧き上がってくるものであって、それを素直に口に出すだけなら別に浪費でもなんでもないね。

 

「悪は孤独。悪は超然。だから、悪は救世主に近いと思った」

「今の道は、救世主へと続く?」

「私は未熟。だから悪がわからない。救世主への道もわからない」

「俺は俺の悪がだいたいわかる。だけど、禊、正直なとこ、俺はおまえが言ってることがよくわからない」
「救世主とか、シュジョウとか……転校してきたあのときから」
「だけど俺は、それをあえてわかろうとは思わない。説明してほしいとも思わない」
「俺はただ……おまえの真剣さだけを受け取りたい」
「おまえのこととかほとんど知らないからこそ……その真剣さだけを受け取って、禊と同じ場所に立ちたい」
「つまり……、俺も救世主になる。救世主が何かはわからないけれど、俺もなる」

分かりあえなくても、共に歩むことはできる。相手の覚悟、決意、想いの熱量を感じられれば、それだけで十分。こういう関係、はなはだ魅力的。

 

「これは、契約」
「私と叶の契約」
「あなたが悪を背負うと約束するなら、私はついていく」
「私たちが救世主になるまで、契約は解除されない――」


こおり

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「悪?バッカじゃないの!?」

「何が悪なのよ?どこが悪なのよ?悪い事なんか、ぜんぜんしてないじゃない!」

「猫を助けたり、銅像の掃除したり。パンク修理したり……、それのどこが悪なのよっ!?」
「そりゃ、動物から野生の心を奪ったり、偉い先生の像に水とか洗剤とかを書けて侮辱したり、自転車屋の営業妨害したり……みんな悪だろ」

「そんな理屈……」
「そんなバカバカしい理屈、ほんとに信じてるの?そんなので、自分を信じさせることができるの?」
「自分の心を、ごまかすことができるの!?」

「あんたたちは、胸を張ったらいいのよ。悪とか、そんな訳のわからないことじゃなくて、いいことはいいこととして」

「……もっとすなおになったらいいじゃない」

根本的な価値観の違い。こおりの価値観は「善悪」という一般的な尺度。対して叶の価値観は『悪』という自分だけの尺度。自分だけの尺度の方が自分にとっては大事なら、そちらを優先することに誰も口出しはできない。
こおりはどこまでも「一般的な価値観」に従順。かつおせっかい。故に人に多数派の理論を押し付ける「生徒会」の権化になっている。でもこおりはたぶん無自覚的。自分が少数派の理念を侵す略奪者になっているという自覚はない。彼女の中にあるのはただ「優しさ」だけ。それがこおりの強さであり脆さでもあると予感。

 

「……悪って何なのよ」

「叶がバカなのは知ってる。でも、叶のバカには、2つあるよね。近道しようとして路地で道に迷うようなバカと、『悪』の方と」
「宮本さんとかとする方のバカと、ギャング部でするほうのバカと」

前者は子供の心。好奇心に従順。後者は自分だけの信条。両者に共通するのは、それが誰かが捨ててしまった、あるいは他の人は大切とは思わない『ガラクタ』であるということ。
「好奇心に従順」というのは実践したい姿勢。私事だが、昨日のこと、昼食を取りに外に出ると、カタツムリが地面を這っていた。普段ならちょっと目を向けただけで素通りしてしまうが、叶を思い出して遊んでみることに。しゃがんでじっくり見た。角を突っつくとホントに縮むことを確かめた。殻をつかんで体の裏を眺めたりした。好奇心が普段いかに抑圧されているかを実感した。
叶はしょっちゅう探検や寄り道をする。彼は日常の中に非日常を発見する目を持っている。その目は日常の濃度を上げていく。環境を変えなくても自分の目によって日々新しいものに出会える。なんと面白そうなことではないか。

 

「あたしは、叶から、そんなこと聞かせてもらってない」
「それは……おまえには聞かれなかったから」
「うそ、いっぱい聞いたじゃない。とくに、あの部ができてから。『悪って何なのよ』って」
「……だってそういうの、だいたいバカにする流れだったろ。そんなときに、言えるかよ」

「…………ごめん」

「叶には叶の考えがあって、その考えに共感して人が集まってるんだから……。そりゃ叶だって、その仲間に本心を打ち明けるよね……」

「……でも、今、おまえにも言ったぞ。いちおう、本心」
「それは……、あたしが怒って問い詰めたからじゃない」

本心を語れる相手なんて限られている。特に人にバカにされるようなことなら尚更。だからこそ人は自分の価値観を受け入れてくれる人により深い話をする。無理に聞き出そうとするのは正道ではない。傷つきやすい価値観を共有できる人とはきっと深い「仲間」になれる。

 

 

 

 おわり。