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分人主義から考える幸福論。一人のときこそ分人を「切り替え」よう!

私とは何か 「個人」から「分人」へ (講談社現代新書)

 
この記事は、平野啓一郎氏の『私とは何か 「個人」から「分人」へ』を読み、解釈したものです。
人間は様々な顔=「分人」の集まりであり、そのどれもが「本当の自分」。そしてその分人の構成比率が一人一人の「個性」を決める。では分人の構成比率をコントロールしてよりハッピーな自分になる方法は? ということを考えていきます。
「分人」とは何か、から説明しているので未読の方でも読めると思います。既読の方はその次の123からでもOKです。
 
それでは参りましょう!

 

【「分人」とは何か?】

私たちは一人の人間でありながら、違う相手に接するときには違う自分になっていることに気づく。家族といるときの自分、友人と居るときの自分、嫌いなヤツと居るときの自分、ネット上での自分、アニメを見ているときの自分……それぞれ違った顔をしている。
 
では、どれが「本当の自分」なのか?
 
私たちは長らくこの問いに苦しめられてきた。しかし「本当の自分」なるものには実体がなく、それは幻想に過ぎない。そんな「本当の自分」を追求したところで、結局自分を苦しめることにしかならないのだ。
 
ここで考え方を変えてみよう。自分の中にたった一つの「本当の自分」が存在するのではなく、自分の顔のどれもが「本当」なのだと。
 
 
人間にはいくつもの顔がある。相手次第で、自然と様々な自分になる。その一つ一つを「分人」と呼ぶ。
この「相手」というのは何も人間に限らない。小説、ゲーム、音楽といった無生物でも構わない。
 
相手によって顔が変わることはよいことなのか? とためらう人もいるだろう。どんな相手にも一つの顔で向き合うことの方が誠実だと――。しかし、私たちが日常生活で向き合っているのは、一なる神ではなく、多種多様な人間である。相手によって顔が変わることは、むしろ相手一人一人を尊重して向き合うことだと言える。
 
そして人間の個性というものは、その人の中にある分人の構成比率で決まる。たとえば大好きな恋人と一緒に居る時間が長い人なら、幸せや優しさが他の人と接しているときにもにじみ出るだろう。あるいは職場で上司に毎日絞られている人は、友人と接していても暗い顔になりがちだったり愚痴ばかり言ったりすることになるだろう。前者は大好きな恋人のと分人が大きい状態、後者は嫌いな上司との分人が大きい状態であり、それぞれ大きな分人が他の人との接し方にも影響を及ぼしている。
 
よって、より幸せな自分、より好きな自分になるためには、分人の構成比率を変える必要がある。では分人の構成比率をコントロールするにはどうしたらよいか? というのがこの記事の主題である。
 
この記事で考える方法は以下の3つだ。
1.接する人・モノを変える
2.好きな分人を重視する
3.分人を「切り替える」

 1・2は本書に書かれた内容を筆者がリミックス(?)したものであるが、3はオリジナルのアイデアである。

 
それでは一つずつ見ていこう。
 
 
【1.接する人・モノを変える】
分人は接する人・モノによって自然と変わってくる。ならば自分が接する人・モノを変えればよいというのが最初の発想である。
 
嫌いな人とはあまり話さない。いつも通る道の喧騒が嫌いなら他の道を通るようにする。プレイし終わったゲームが好きじゃなかったなら、それのどこが悪いかなんていうレビューは書かずにとっとと次のゲームに行く。
 
先の上司に絞られている社員だったら、転職すればいい。そう簡単に言うなよという声が聞こえてきそうだが実際一番心理的コストが低いのはこれだろう。上司を改心させるという方法もあるが、それはあまりにも大変なのでこの記事で扱える範囲を超える(これ一回言ってみたかった)。
 
接する相手を変えることで分人の構成を変えていく、というのが1である。
 
 
【2.好きな分人を重視する】
1は接する相手を変えることで実際に分人の構成比率を変える方法だった。対して2は、「見かけの構成比率」を変える方法である。
 
日常生活において、ある相手と接する時間はすべて自分でコントロールできるわけではない。例えば学校でいじめられている子だったら学校に居る間はいじめっ子との分人を生きなければいけないわけだし、先の社員も会社に居る間は上司との分人を生きざるを得ないわけだ。
しかしこのいじめられっ子や社員が、家に帰ってからアニメを見ているときは幸せな自分になれるとしたら――。小説を読んでいると優しい人間になれるのなら、音ゲーをやっているとなんとしてでもコンプリートしてやると熱意を燃やした自分になれるのなら。その幸せな分人を重視すればいいのだ。
実際に分人の構成比率を変えるのには現実的な限界がある。しかし、見かけの構成比率は自分の解釈次第で変えられる。嫌いな分人も他ならぬ自分の分人であることは確かだが、その不本意な分人を重視するかどうかは自分次第。自分の中で分人に価値の序列をつけることは可能なのである。
 
好きな分人を重視することで体感的な構成比率を変えようというのが2。
 
 
【3.分人を「切り替える」】
さて、これは本書に書かれていないオリジナルの方法である。しかしその根拠は本書の内容に依っている。
 
これまで、分人は接する相手によって自然と決まるものだと述べてきた。では、一人でいるときの分人はどうなっているのか? 誰とも接していない、一人でいるときの自分こそが「本当の自分」なのではないか? 本書はこの問いに対しても答えを用意している。
 
一人でいるとき、自分の中には様々な分人が立ちあらわれてくる。誰の影響も受けていないまっさらな「本当の自分」なるものは存在しない。よくアニメなどで頭の中の悪魔と天使が脳内会議をしているシーンがあるが、あんな風に、私たちは様々な分人を通じて考え事に耽っているのである。さらに、一人でいるときには、直前に接した相手との分人が現れやすい。嫌いな同級生と話したあとはイライラするし、好きな友達と話したあとは機嫌がいい。実感しやすい話だ。
 
なら一人になる前には必ず好きな人と接するようにしたいのだが、そういう訳にもいかない。嫌いな分人はどうしても0にはできない。会社や学校の人間関係からは離れられないし、予期せず不愉快なことが起こることもある。たとえばブログをやっている人なら急に批判ばっかりのコメントが着たりとか(幸い当ブログはまだそのような目には遭っていないが)。
 
そこで大事になるのが「切り替え」だ。嫌いな分人のことは忘れて、好きな分人に浸ればいい。
好きなゲーム、マンガ、アニメ、エロゲ、音楽、チェス……なんだっていい。自分の好きなことをすればいいのだ。
 
1と3の違いについて補足しておく。
1は嫌いな人との接触を実際に減らそうという方法だった。それに対し3は「嫌いな分人を引きずらない」という点に主眼を置いている。「負の感情を断ち切る」と言い換えることもできる。
また、1は接する相手をだんだん変えていくという「プロセス」だが、3は「瞬間」的な行動である。思い立ったが吉日。あ、私いま嫌な気分だな…と思ったらすぐにできる。
 
そしてさらに、「負の感情→切り替え」のサイクルを繰り返すことで、分人の切り替えが習慣化されていく。こうなればしめたものだ。いくら人に嫌な思いをさせられようと、好きなものに触れることで精神世界を浄化できる。そんな習慣を身につけられたらと思うと、何だかわくわくしないだろうか?
 
 
【まとめ】
  • 人間は相手次第で、自然と様々な自分になる。その一つ一つを「分人」と呼ぶ。「相手」は人に限らず、小説・アニメなどのモノでもよい。
  • 個性は分人の構成比率で決まる。よって幸福度を高めるには分人の構成比率をコントロールすることが必要である。その方法は、
  • 1.接する人・モノを変える(実際に構成比率を変える)
  • 2.好きな分人を重視する(見かけの構成比率を変える)
  • 3.切り替え(好きなことをして嫌いな分人を忘れる)⇒習慣化が大事
 
 
 
―――
 
 
 
ということで、分人主義から自分をハッピーにする方法を考えてみました。
本を読んでこうやって一つのテーマについて考えて記事にしたのは初めてだったのでいい経験になりました。人に伝える前提で書いているとその過程で新しい視点や言葉が見つかるのが面白いです。
以前から「好きなものに触れ続ければ自分の精神世界をハッピーにできる」ということは感じていたのですが、今回はその裏付けを一つ得られたように思い満足です。
 
今は↓を読んでいるところなので、また自分の考えたいことに繋げて記事を書ければと思います。
弱いつながり 検索ワードを探す旅

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それでは!