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『東大卒プロゲーマー』を読んで。面白い人生だった

東大卒プロゲーマー (PHP新書)

この本を読了した。プロゲーマーという人に対する印象ががらりと変わった。どんな対象だって真剣に取り組めば学ぶことはいくらでもあるし、自分にとっての価値も生まれる。

「なぜ東大卒でプロゲーマーになったのですか?」と聞きたくなる心に、「ではあなたが東大卒だったら何になりたいですか?」と問い返す。弁護士、医者、外交官…そんなキラキラした職業がいくつも浮かぶが、結局、情熱がなければ何にもなりたくないのだという事に気づく。

情熱を得る方法は簡単で、熱を持っている人の傍に行けばいい。熱は伝染するから。熱を持っている人は外から見てすぐわかる。例えば研究室なら熱を持った先生や学生のいるところに行くということだろう。研究室見学に行くときに、先生が研究/教育に対して熱を持っているか、あるいは熱を持った学生がいるかということを見ないといけない。

ブログや物語読みについても言えるだろう。熱を持ってブログを書いたり物語を楽しんだりしている人の傍にはい続けたい。物語だってエロゲだってブログだって、自分にとっては全部そうやって始まってきたんだし。熱を持った人の傍にいると自分のやっていることに対して「これ意味あるのかな…」と疑いにくくなるし、いろんなことを知れるよね(相手のアンテナにひっかかったものを2次的にキャッチできる。Twitterは特にこの性質が高い)。

 

以下、気になった言葉を引用してみる。

(そのまま引用していたり、勝手に解釈してまとめていたりする。カッコ内は自分の考えたこと)

ゲームで生計を立てていけることに対して感謝している。ゲームの世界に恩返しがしたい

 

闘うべきは画面の中のキャラクターではなく、その向こうにいる生身の人間なのだ

 

生身の人間相手に、公式だけで通用するはずがない(⇒「コミュ力」偏重への警鐘とも取れた)

 

偶然を見逃さないために、興味関心を持ち続けること

 

社会がどう評価するかより、自分がどれだけ真剣にやっているか。自分の中途半端な姿勢を、対象の世間的な評価が高いからという理由で擁護してはならない(東大の不真面目院生VS真剣なゲーマー)

 

未来のことなど分からない。それなら役に立たない論理など脇に置いて、面白そうな方を選べばいいではないか。

 

プレイヤーがいてこそ、ゲームの面白さは目に見えるものになる。さらに僕らは、開発者の意図をも超えられる。用意されたブロックの種類は決まっていても、その組み合わせ方は人によって無限大である。

 

ももち:強いキャラで勝っても、それじゃ物足りなかった(⇒楽しさ)

 

情熱がもたらすもっとも価値あるものとは、応援者であると思っている。

強くなることは、どんなに優れた人間であっても独りでは不可能だ。

 

格下の相手の言うことにも耳を傾ける。もちろん毎回のように発見があるわけじゃない。大事なのは、知識を吸収するための「扉を閉ざさない」ことだ。それさえ忘れなければ、どこまででも強くなれる。

(⇒ウメハラやももちのような、「楽しさ」「面白いプレイ」を追い求めて常に変化し続ける姿勢にも同じものを感じる。もっといいやり方が「あるかもしれない」。その可能性に対して扉を開き続けている)

 

こういう自伝的な本は面白い。自分の知らない世界を知れるし、経験に裏打ちされた確信に触れられる。他にもいろんな人の本を読んでみたい。

とりあえず、ウメハラという人にも興味が湧いたので

勝負論 ウメハラの流儀 (小学館新書)

勝負論 ウメハラの流儀 (小学館新書)

 

 ↑この本を買った。

勝ち続ける意志力 (小学館101新書)

勝ち続ける意志力 (小学館101新書)

 

↑こっちにも興味はあったが、既にこの本を取り上げた記事を読んだことがあったのでより新鮮な情報を得たかったので。上の本はたぶんこれの続編的なもの。

 

あとがき

本を読み終えてから、生まれて初めてプロゲーマーの対戦というものを見てみた。

観客の盛り上がりように見ているこっちまで楽しくなってくる。

格ゲーってあんまりやったことないので正直試合のことはよくわからないんだけど、ウメハラさんが波動拳(?)で決める時の歓声には共感してしまう。

 

あとこっちを見て、


ときどさんの異名「Murder Face」の意味を理解した。