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ゆらのふなびと

競プロ, Python, C++

日記つけててよかったー! と思った瞬間

1か月程更新が滞っていたこのブログですが、先週以下の記事から再開しました。

ブログに「主張」ではなく「疑問」を書く - ゆらのふなびと

その後9日間で6記事。割といいペース。

 

でも、この再開1発目の記事は何がきっかけで書いたんだろう? ということを、

こともあろうにたった10日で忘れてしまっていました。

そこで思いあたったのです。そうだ、私は日記を書いている。

日記があれば、忘れてしまった感情でも思い出すことができる。

 

日記を読んで思い出したのが以下のこと。 ちょっと長いけど時間軸通り書きます。

 

*****

実は、このアカウントに行き詰まりを感じていた私は先週別のTwitterアカウントを作った。ドール界隈の人たちをフォローしてかわいいドールの写真を楽しんだ。ブログも作った。そうしたら何故か「揺り戻し」のようなものが働いて、こっちのブログを久しぶりに更新したのだった(新しい方のブログは2記事だけで止まっている)。

「揺り戻し」? って思うんだけど、日記によればこういうことらしい。

ブログをまた作った。

日記っぽくていいから更新したい。

自分の書いたものを外に出し続ける事でどうなるかが見てみたい。

(日記に書いているだけでは絶対リアクションはないから)

 

続けるよ!

 (自分の日記引用するの恥ずかしいな…。)

日記は基本的に自分しか見ないものだから、日記に文章を書いても他人からのレスポンスはありえない。でもブログだったら、レスポンスが「あるかもしれない」。

そりゃあ、こんなちっぽけなブログにコメントなんて付く方が珍しい。それでも、可能性は0ではないのだ。コメントでなくとも、ツイートや記事での言及もありうる。

そして、期待するものが「反応」なら…何も考え抜かれた「主張」だけをブログに上げる必要はない。考えている途中の「疑問」だっていいじゃないか。そんな思考を辿って、あの記事を書くに至ったのだろう。

*****

 

日記の話に戻ると、以上に書いたことを、私は日記があったから思い出せました。

つまり、1か月ぶりにブログを更新させるほどの強い動機でも、日記がなければ永遠に忘れていたかもしれないのです。

 

こういうことを経験すると、先週の自分と今週の自分なんて別人なんだなあと思う。

同じ体で同じ脳みそなのに、感情も考えていることも、意識下に現れる記憶も全然違う。

人生において残っている過去との繋がりは、ほとんどが中学生の時からなので、小学生の時の記憶はもはや自分だったのかも怪しい。自分が忘れたら思い出させてくれる人もいないので、忘れたが最後、一生思い出せない。

— ゆずころもち (@lovingnote) 2014, 7月 13

先日このツイートを見て、やっぱり日記は続けようと思った。

そして今日のこの記事で、やっぱりやっぱり日記は続けようと思った。

 

あとがき

ブログへの反応ということに関して、例えば

ちょっとマイナーだけど大好きなボカロ曲×5 - ゆらのふなびと

この記事を書いた後には、普段ボカロを聞かないけど好きな曲があったとツイートしていた方がいました。

こういう風に反応があるのはブログの面白いところだと思う。

稀であっても、反応が「ありうる」というだけで一つの魅力。

それをメインで期待するんじゃないんだけど、予期せぬ時に来るから面白い。

 

再開後の記事の流れは全然「ブログに疑問を書く」ではないんだけど、

今は楽しんで書けているので別にいいかなと思う。音楽系の記事とか。

再開前は物語と自己啓発的なのしか書いてなかったけど、

あの頃勝手に自分で作っていた制約からやっと抜け出せた感じ。

 

これからは自分の「書きたい欲」に任せていろいろやっていきたい。

 

それでは!