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ゆらのふなびと

競プロ, Python, C++

ブログに「主張」ではなく「疑問」を書く

最近、ブログに対して求めるものが変わってきた。

 

これまでは「自分の楽しさ/実感を1%でも加速させる」がテーマだった。

例えば物語を読んでその感想を書いたり、自分が日常でこれ大事だなーと思ったことを書いたり。

でも、なんとなく違和感があった。

その正体は「ブログは断定形で書かなければいけない」という先入観だったように思う。

ブログに書くべきは、考え抜かれた主張、何故正しいかを述べる論証。文章を書くなら人に説明するように書かなければ意味がない…そんな先入観。*1

 

対して、今感じているのは、「様々な考えを知るためのツールとしてブログを使いたい」ということだ。

ブログ界隈、とくにはてなを見ていると、一つの記事に対してあまりにも多くの考えがあることに驚かされる。

誰かが記事を書けば、それがブクマやツイートで瞬く間に広がり、言及するブログが表れ、さらにそれを見た人がまた巻き込まれて…そういう連鎖が起こるのはとても面白いと思うし、一つのテーマでも切り口は無限にあるのだということを実感させられる。

これは、ブログならではの面白さではないかと思った。まとまった文章を書き、それを不特定多数に向けて公開するのが、ブログという手段。それによって、他の人の考えを知ることができる。

 

「他の人の考えを知ること」が目的なら、何もブログに「結論」を書かねばならないという縛りはない。

何が正しいんだろう?って思うようなことでも、とりあえず自分の感じたことを書いてみればいい。これってこうなんじゃないの?こんな視点もあるんじゃないの?って提示してみればいい。そうしたら、興味を持った人は反応してくれるはずだ。コメント書くなり、ブログで言及するなり、ブコメつけるなり。*2

「考えたい」という欲求が記事に現れていれば、その思いはきっと伝播するはずだ。

 

物事をズバッと言い当てている記事は確かに面白い。でもそれはきっと、底知れぬ研鑽の賜物だ。ずっと考える習慣を身につけてきたから、たくさん文章を書いてきたからそういう記事は生まれるのだろう。

あるいは、理路整然とした反論のしようがない記事。すごいとは思うけど、その行き着く先は「論文」だ。論理的には正しいけど、文章としては冷たい。人の興味を惹きつける温度はそこにはない。

 

「疑問」、あるいは「ありうる考え」を投げかけることで、他の人の考えを呼び込む。

反応があるかないかは相手次第なので自分だけではどうにもならないのだけれど、始まったばかりのブログに反応がないのは当たり前。

まずは自分が他の人のブログに反応したり、話題のテーマについて言及したりすることで自分の望む土壌を作っていきたい。

居場所を作るには、時間が必要だから。

 

2014-02-07 - みやきち日記

この方なんて、15年だからね。「満員電車も乗り続ければ他の人が降りていって座れるようになる」っていうのも至言ですね。

*1:これは特に感想記事に対して悪影響を及ぼす。なぜなら、感じてもいないことを断定して書いてしまうから。そんな記事、書く側も読む側も楽しいわけがない。

*2:僕がべるんさんのクンフーの記事に対してしたように。cf.物語を「楽しむ」と「意味を見つける」の関係⇒感受性が低い人にとってのクンフー論 - ゆらのふなびと