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『ローゼンメイデン』 感想1 ~「闘うことって、生きることでしょう?」つながりがあれば、人は現実に立ち向かっていける

『ローゼンメイデン』 アニメ マンガ

  

Rozen Maiden新装版 1 (ヤングジャンプコミックス)

 

 宿命に縛られた7体の人形と、踏み出せずにいる1人の少年の物語。私がそこに感じ取ったのは、「現実と向き合うことの大切さ」「つながりの大切さ」でした。

 

 ローゼンメイデン(旧シリーズ)の全7巻を読み終えての感想を書いていきます。

 

 

「闘うことって、生きることでしょう?」

 

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 ふと、現実から目を背けたくなる時がある。「つらいことばっかり、こんなの嫌だ」「自分は独りぼっち、誰も本当の私を分かってくれない」…そうやって世界に失望して、自分の殻の中に閉じこもってしまいたくなる時が。

 

 でも、自分が現実から「目を背けている」のだということを、他ならぬ自分自身は知っている。だから辛い。現実から目を背けて楽になろうとしたのに、今度は逃げている自分自身の弱さに苦しめられる。つまり、逃げることは苦しみの内容をすり替えるだけで、本質的な解決にはならないのだ。

 

 この悪循環を断ち切る方法――それは、「闘う」ことだ。自分に与えられた現実から目をそむけず、向き合っていく。そうやって、自分から世界を変えていけばいい。

 

 

 

 私たちの存在は不安定だ。「自分とは何なのか」という確固たる答えもないまま、気づいた頃には今いるところに立っていた。それは決して自分の選んだ結果ではない。親を選んで生まれてくる子なんてどこにもいない。自分が今いる場所は、自分の意志で選んだものではなく、勝手に「与えられたもの」。

 

 だから悲観するのは簡単だ。「なんでこんな目に」「どうせ僕なんか」。自分が欲しくて手に入れたものじゃないんだから、いとも容易く投げ出せてしまう。「ここは私の居場所じゃない」――そうやって、自分の中に閉じこもってしまう。

 

 与えられた現実を悲観すること――その何が問題かと言ったら、「諦めている」ことだ。現実に不満があるということは、その対極に自分の望むものがあるはずだ。淋しい世界が嫌なら、自分から友達を作ればいい。人の言いなりになるのが嫌なら、相手と対等に渡り合える術を身につけたらいい。きっかけはほんの小さなことだ。自分が踏み出すか踏み出さないか。結局そこにかかっている。

 

 

 

 ローゼンメイデン――それはまさしく「闘うことで生きている」存在だ。

 

 7体のドールは、人形師ローゼンの手によって作られた。ローゼンが目指したのは、完全な少女「アリス」。1体作り、また作り…ついには7体作っても、結局アリスには届かなかった。そこでローゼンは、命の源「ローザミスティカ」を7つにわけ、彼女たちの体に託した。彼女たちに与えられのは「アリスゲーム」という運命。ドール同士でローザミスティカのかけらを奪い合い、7つを集めて完全になったドールだけがアリスになってお父様に会える。姉妹同士で争わなければならない、悲しい宿命。

 

 でも真紅は、自分の運命を悲観していない。「私は私なりのやり方でアリスゲームを制する」「みんなでアリスゲームを終わらせる」。彼女は自分の信念のもと、現実に立ち向かっていこうとしている。「私たちは絶望するために生まれてきた」…そんな水銀燈の言葉とは対照的だ。

 

 

 

 自分に与えられた現実を悲観せず、自分から立ち向かっていく事。それが大切なのだと、真紅の姿勢は教えてくれる。

 

 

 

殻の中から「一歩踏み出す」ために

 

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 ジュンは現実を悲観し、自分の殻の中に閉じこもっている。その原因は過去の経験にある。

 

 ジュンは小さい頃から裁縫が趣味だった。特に女の子の服をデザインするのが好きで、中学校のプリンセスコンテストの衣装の着想をノートに落書きしてあったのを、担任に見つかり採用されてしまう。「男が描いたのかよ!」「少女趣味…」そんな周りの目に、ジュンは集会で発表されたその場で嘔吐してしまう。

 

 それ以来ジュンは、学校に行かなくなる。「ここにいればもう傷つかないから」。「まずいものでも我慢して食べて、眠くなくても眠っていれば生きていける」。世界に失望し、自分の求めるものを諦めた、惨めな姿だ。

 

 とはいえ一度傷ついた人間が、再び扉を開けて歩みだすのは容易なことではない。幸せな記憶を見失い、不幸な過去にだけ縛られて、現実に目を向けなくなってしまった人間。そういう人間が現実と向き合う(=「闘える」)ようになるためにまず必要なのが、「つながり」だ。

 

 

 

自分の存在を繋ぎ止める「絆」

 

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私たちローゼンメイデンの体は
 
ひとつひとつが生命の糸で繋がっている
 
誰かはそれを…
 
とも呼ぶのよ
 
――真紅

 

 この作品では「絆」という言葉が度々出てくる。それをこの記事では「つながり」と呼んでいる訳だが、ローゼンメイデンにおける「絆」という言葉には、「自分の存在を繋ぎ止めてくれるもの」というイメージが込められているように思う。

 

全ては観念なのよ
 
この子がこの子であるという観念
 
”ここに居る”という確かな意識
 
この子が”ここは居場所ではない”と思ってしまったのなら
 
それは存在しないのと同じ
 
ただの物になってしまうのだわ
 
――真紅

 

 自分という存在は不安定だし、「自分とは何か」を明確に教えてくれるものもない。それでも、自分を自分だと思えるのは、「つながり」があるから。これを象徴しているのが、4巻で真紅が右腕を取り戻したシーンだ。

 

 真紅は3巻の水銀燈との戦いで右腕をもぎ取られる。ローゼンメイデンの一人として、完璧を目指していた彼女は絶望に襲われた。「私は人形だから、完璧じゃなきゃいけない」。そんな強迫観念が彼女を苦しめる。

 

 ジュンは無意識の世界から真紅の腕を取り戻す。しかし腕は開かない籠におおわれて取り出せない。

 

 4巻で蒼星石ローザミスティカ水銀燈に奪われてジュンが「僕が相手になってやる!」と叫んだ瞬間、かごは崩壊した。心のしがらみを振りほどき、ジュンが一歩踏み出したからだ。そしてジュンの指輪から出た光の糸で、真紅の右腕は再び体に繋ぎ止められる。

 

 なぜ真紅の腕はもとに戻ったか? それはジュンが、真紅を大切に思ったからだ。ローゼンメイデンの体を繋ぎ止めるのは絆の糸。強いきずなが、真紅の体を再びこの世界に繋ぎ止めた。

 

 また、続く5巻の水銀燈の姿も同じことを示している。「私は綺麗なんかじゃない…」「どんなに穢れても 誰にも愛されなくてもいい このまま壊れてしまっても……」そう言いながら、水銀燈の背中にはピキピキ亀裂が広がっていく。これは水銀燈の中で「絆」が失われていっているからだ。「姉妹やマスターとの絆なんて馬鹿げてる」「私たちは絶望するために生まれてきた」…そんな水銀燈の悲観が、めぐの存在さえ見えなくさせて、彼女を壊れさせてゆく。

 

 

 

 不安定な僕らの存在を繋ぎ止めて、一つに束ねてくれるもの。それが「絆」であり、大切にすべきもの。

 

 

 

独りぼっちの人なんていない

 

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一人は一人でしかないのだわ
 
でも みんなつながっている
 
ーー真紅

 

 僕ら一人一人は、互いに異なった存在だ。100%わかりあうなんて、できっこない。でも、そんなこともともと必要なくて、互いが互いを気にかけていたり、自分を必要としてくれる人に気づきさえすれば、誰も独りぼっちになんてならない。つながりがあれば、世界から目を背けて自分の中に閉じこもってしまうような悲しいことは起こらない。だから、自分を必要としてくれる人(自分を呼んでくれる声)に気づくことは大事だし、つながりをお互いに作ることも大切。

 

 漠然とした孤独感には、次の雛苺の言葉が効く。

 

 ヒナはね かばんの中でずーっと一人ぼっちだったの

 

だから今でも かばんで寝るときはたまに怖くなっちゃうの
 
もしかして このままずーっと目覚めなかったら
 
ヒナはまた一人ぼっちなのかしらって……
 
でも朝になると ヒナはお馬鹿さんだったって いつも思うのよ
 
だってね…
 
トモエものりもジュンも真紅たちも
 
起こしてくれる人はたくさんいるんだもの

だからジュンが夜眠るのが怖くなったら
 
ヒナに言ってね
 
ヒナが起こしてあげるからね
 
――雛苺

 

 普通に過ごしていても、ふと「自分は孤独だ」と感じることがある。漠然とした、不安とか孤独。でも、そんなのは杞憂なんだ。自分の周りを見てみれば、つながりはきっと何かしらあって。そういう「今ある大切にすべきもの」に気づいて、それを実際大切にするというのは、本当に大事。最後の3行は、自分からつながりを与える大切さを示してもいると思う。

 

 

 

「扉」を見つけ、開けるのは自分自身

 

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私にも覚えがある…

 

迷路に閉じ込められたと思っていても

 

ほんのわずかな光がさせば 出口は案外近くにあるものだ…

 

――一葉

 

 「つながり」は、この世界にはまだ自分の居場所があると思わせてくれるもの。それは絶対的な絶望(≒自殺)を防ぐことはできる。しかし殻の外に踏み出すには、「扉」(「きっかけ」「入り口」)を見つける必要がある。そしてその「扉」を見つけることは、自分自身にしかできない。

 

 扉を照らす光を与えることは、他の人にもできる。独りぼっちの暗い世界に、「呼んでくれる声」は光をもたらす。でも、自分の内側にある扉に気づくかどうかは自分次第。自分が諦めていては、いくら光を与えてもらっても何も変わらない。

 

ここはジュンの導いた世界だもの
 
『扉』を見つけられるのは 一人しかいないわ
 
――真紅

 

 これはnのフィールドにおける台詞だが、外に出ていくための「扉」についての言及のようにも思える。

 

 

 

 そして、扉を見つけるだけでなく、扉を開けることも、本人にしかできないことだ。

 

まきますか? まきませんか?

 

 ローゼンメイデンはマスターを見つけるため、この言葉を人間たちに送りつける。「まく」というのは、「ゼンマイを巻く」という意味だ(ローゼンメイデンはゼンマイ仕掛けの人形で、背中にねじをさすところがある)。

 

 手段はDMだったり電話だったりするが、ここで注目したいのは「相手に選ばせている」ということ。アリスゲームのためには力の媒介であるマスターが必要不可決なはずなのに、なぜ彼女たちは自分から選ばず、相手に選択を委ねているのか?

 

 それはきっと、自分から向き合うと決めてほしいからだ。この最初のまきますかまきませんかだけでなく、真紅はその後も、ジュンに自分から選ぶことを求めている。最初の契約のときも「誓うの? 誓わないの?」だし、ジュンに学校に行けと言うでもなし。

 

 この姿勢はシリーズ全編を貫いている。だからこそ7巻の最後、ジュンがnのフィールドへの扉の前に立った時に問われるのは、これなのだ。

 

開けますか? 開けませんか?

 

 そしてジュンは答える。

 

僕は扉をーー

 

 

開ける!!

 

 ジュンはついに選んだのだ。今まで逃げていた学校だけでなく、さらに大きなアリスゲームという宿命に立ち向かうことを。自分を支えてくれる小さな人形たちを、自分の手で救うことを。彼は自分から向き合うことを選んだのだ。

 

 だからこそ彼は、これからも強く闘ってゆけるだろう。もちろん与えられた現実は与えられたものとして受け入れなければならない。そして自分の殻の中から出ることができたら、その後は僕らの前には無数の扉があって、そのどれか一つを自分で選び、進んでゆく。そして自分が選んだ道に向き合い、歩いてゆく。

 

 

 

 

まとめ

  • 与えられた現実を悲観せず、自分から立ち向かっていく。目を背ければ、諦めゆえの苦しみに苛まれるだけ。
  • 「つながり」は自分の存在を繋ぎ止め、世界への失望を防いでくれる。だから、自分を大切にしてくれる人に気づくこと、人につながりを与えることは大切。
  • 「独りぼっち」だと思うことは杞憂でしかない。一人は一人でしかないけれど、確かにつながっている。
  • 扉を見つける「きっかけ」は他の人にも与えることができる。でも、扉を「見つける」ことと「開く」ことは自分にしかできない。自分で選んだことならば、きっと強く立ち向かっていける。

 

これが7体のドールと1人の少年が教えてくれた核じゃないかな、と思います。

 

 

 

 

 

あとがき

 しんどかったです!(笑) 物語自体は別に複雑な世界観とかなく読みやすかったんですけど、言葉にするのが…。心の中でいくら大事だと思っていても、それを言語化するのはやっぱり大変だなあということを再実感しました。

 

 今回のしんどさは、『ローゼンメイデン』の立場に自分が全身体で同意できなかったことも原因にあります。「みんなつながっている」とか「自分を思ってくれる人はいる」っていうことを前提にしているように思うんですね。こういう性善説的な部分に卑屈な僕は賛同できなくてですね…。だとしてもつながりが大事っていうのはよくわかったので、自分が大事だと感じた部分を主軸にしてまとめていきました。たとえ物語の核を摘み取れたとしても、それが自分と相容れないこともありうるというのは、新しい発見でした。

 

 記事の書き方としては、今回はあまり引用を使わずにやってみました。引用メインだとどうしても考える部分が減っちゃって、ただのコピペゲームになってしまうので…。ただ読む人からすればどこの馬の骨かもわからないような凡人の言葉より作品の言葉に触れられた方が楽しいのかなーとも。ここらへんは今後探っていきます(自分最優先にはなるでしょうが)。

 

 最近記事の最後にあとがきをよく書いていますが、実はこれを書くのが結構楽しみになっていたり。めっちゃ自己満だと思うんですけど、こういうのってなんで楽しいんでしょうね…。

 

 『ローゼンメイデン』の旧シリーズについては「完璧主義との決別」という話も書きたいなーと。新シリーズも注文したので、届くのが楽しみです♪

 

 

 ではまた!