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ゆらのふなびと

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『監視官 常守朱』 3,4巻 感想 ~「確信」のない世界。そこはきっととてもさみしい

マンガ アニメ 『PSYCHO-PASS』 『マルドゥック・スクランブル』

監視官 常守朱 4 (ジャンプコミックス)

 

 こないだ1~4巻で感想書いたけど、3,4はさらっと読んだだけだったのでもう一回。今回はシビュラシステムの存在に絡んで、「”自分で考える”ことによって、自分の柱となる『確信』は得られるのではないか」というところを考えていきます。

 

 

人間の意志 VS シビュラの神託

 

「この安定した繁栄… 最大多数の最大幸福が実現された現在の社会を一体何が支えているかと思うかね?」
 
「人生設計・欲求の実現… 今やいかなる選択においても人々は思い悩むよりも先にシビュラの判定を仰ぐ そうすることで誰もが葛藤に煩わされることなく幸福と満足のみを享受できる
 
――4巻 禾生

 

「…僕はね…人は自らの意思に基づいて行動したときのみ価値を持つと思っている だから様々な人間に秘めたる意志を問い質し その行いを観察してきた」
 
「僕は"人の魂の輝き"が見たい それが本当に尊いものだと確かめたい だが己の意志を問うこともせず ただシビュラの神託のままに生きる人間たちに 果たして価値はあるんだろうか?
 
――3巻 槙島
 
 様々な問題について即座に最適解を与えてくれるシビュラシステム。それは善悪の判断さえ一手に引き受け、人々の安全な生活の基盤となっている。しかしその便利さは一方で、人間がシステムに頼りきって、何も考えなくなるなるようにさせるものだとも言える。
 
 じゃあ結局「自分で考える」のと「最適な答えを出してもらう」のとどっちがいいの?ってことになる。これはこないだも書いたし結局はバランスの問題でしかないんだけど、一つ思ったことがある。それは、「考えない世界とは、『確信』の生まれない世界なのではないか」と言うことだ。
 
 

自分だけの『確信』

 

 私たちは、不安定な世界に投げ出されている。なぜ生きているのか。なぜここに生まれたのか。自分って何なのか。何をすればいいのか――その答えはどこにもない。人間や自分の存在に価値があるのかどうかさえ分からない。答えの出ない難しい問いに満ち満ちた世界。

 

 そのような不確実性に対して、シビュラシステムというのは一種の安心を与えてくれる。どう生きればいいかって、そんなの、自分が何に向いているかは教えてもらえるし、PSYCHO-PASSが曇らないように生きていればいい。善悪の判断はシビュラが勝手にしてくれる。私たちは難しい問題なんて考えなくていい。「誰もが葛藤に煩わされることなく幸福と満足のみを享受できる」。まさに夢のような話だ。

 

 しかし、そういう「難しい問い」から解放された人間は、果たして『確信』を持つことがありうるのだろうか?

 

 『確信』とは何か。「かたく信じて疑わないこと」*1だ。(ここ言いたいのは「信条」とか「信念」に近いけどそれだとちょっと堅いので「確信」で通させてもらうことにする。)

 

 もしシビュラシステムがなかったら、つまり、今を生きる私たちは、このぐらぐらな世界をどうやったら前向きに生きていけるだろうか? その核となるものこそ『確信』だと思うのである。

 

 『確信』、それはつまり「自分の中にある柱」だ。自分の外側である世界は不安定で、確固たるものを求めることはできない。だったら自分の中に作ってしまえばいいのだ。自分が自信を持って信じられる、「自分だけの宝物」を。

 

 じゃあどうやったら『確信』は得られるか?それは、「難しい問いを考え抜く」ことだと思う。

 

 

「答えのない問い」を「考え抜く」ということ

 

 たとえば私は、最近『マルドゥック・スクランブル』という作品を読んで次のような言葉に出会った。

 

人間は、どんなものにも本当は価値などないことを心の底では知っている

 

――『マルドゥック・スクランブル』 2 p.116 ボイルド

 

 ぐさっときた。私はこの言葉を受け入れたくなかった。だってさみしすぎるじゃない。「どんなものにも本当は価値などない」だなんて。じゃあ私たち何のために生きてるんだよ。何でみんなで生きてんだよ……。

 

 でも、私はどうしても気になって、この作品を読み終えてから考えた。「本当は価値などない」とはどういうことなのだろうか? と。

 

 すると、こんな言葉も見つかった。

 

我々が生きていること自体が偶然なんだ。そんなこと、ちっとも不思議じゃないじゃないか?偶然とは、神が人間に与えたものの中で最も本質的なものだ。そして我々は、その偶然の中から、自分の根拠を見つける変な生き物だ。必然というやつを」

 

――『マルドゥック・スクランブル』 3 p.191 アシュレイ

 

 そこで私は、ああなるほど、と思った。「価値」や「意味」なんてのは、所詮人間が作り上げた虚構でしかないのだと。私たちは「なぜ生きているんだろう」とか「何のために生まれてきたのか」とかいろいろ考えて、その答えを外に求めようとする。でも、ないんだ。もともと。問題は私たちがどう感じるかであり、何を大切にするかなんだ。

 

 そしてこれが、この作品の「自分の人生と向き合う」というテーマとつながってきた。

 

 『マルドゥック・スクランブル』で、主人公のバロットは、自分を娼婦として雇った男に一回殺されかけながらも、一命を取り留め事件の解決に向かっていく。「なぜ自分が殺されなければならなかったのか」「なぜ私が生きなければいけないのか」――そういった問いに、正面から向き合っていく。それは彼女のパートナーであるウフコックも同じだ。ウフコックは、万能兵器として開発された金色のネズミ。彼女の武器として、時には銃になり、時には防護スーツとなる。もとはただのネズミだったのが、知能を与えられ、自我が芽生え、「道具存在」としての役目を与えられる。そんな彼が「自分とは何者なのか」という問いを抱いたのは、決して不思議なことではないだろう。

 

 彼女たちはともに戦っていく。かつての相棒であるウフコックを取り戻そうとするボイルド、バロットを焼き殺そうとした記憶を消し去ろうとするシェル、はたまた父親にレイプされ、家庭が崩壊したというバロット自分自身の過去――目を背けたくなるようなものたちから、決して逃げずに。

 

 そしてついに、彼女たちは「自分とは何なのか」という問いの答えを見つけ――

 

 

 

 

 

 

 いや、

 

 

 

 

 見つけていないのだ。

 

 

 

 

 

 そう、彼女たちは結局「自分はこういう存在なんだ!」「こうだから私は生きているんだ!」という明確な答えを見つけたわけじゃない。ここが私自身ずっと引っかかっていたところだった。「なぜ私なの?」とバロットは冒頭から何回も問うていたのに、その答えは最後まで与えられていないじゃないか。結局「答えなんてない」で終わりかよ! ぷんぷーん。

 

 でも、それでいいんだ。バロットたちは、生きることにどう向き合うべきかという『確信』を得たのだから。

 

生き残る――配られるカードに対して、バロットが思ったことは、それだった。
 二度と、何の抵抗もできぬまま殺されるつもりはない。逆に相手の心臓をこの手でつかみ取るためにも、何としてもゲームを生き残らなければならないのだ。シェルという男が仕掛けたゲームを、この事件をバロットのゲームにするために

 

不確実な綱渡りを成功させる鍵は、決して運だけではない。操作不可能なものはさておき、自分にできることは全てやるからこそ綱渡りにも意味が生まれるのだ。そしてそれこそ、ゲームの戦術以前にドクターやウフコックから教えられたことだった。

 

もし誰かに、ここで私が、ゲームを諦めたら、みんな幸せになるって言われたとしても、私には、それは許せないから

 

   彼女の知った「向き合い方」とは、自分の意志で歩むことだ。ウフコックたちに会うまでの彼女は、自分自身を殻の中に閉じ込めて生きていた。自分の感覚を遠くに飛ばして、周囲の嫌なことが過ぎ去るまで待つ――そういう受動的な生き方だった。でも今は違う。最後のセリフのような、強い『確信』を抱いている。だからこそ彼女は、「なぜ自分なのか」なんていう問いに対する明確な答えがなくとも、自分の人生を、自分の足で進んでゆけるだろう。

 

 結局、この例を通して私が言いたかったことは何か。それはこうだ。「答えのない問い」を考え抜くことは、その問いに対する直接の「答え」を与えてくれるわけではないかもしれない。しかし、その問いの存在さえも凌駕するような、大きな『確信』を与えてくれるのだ。

 

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 さて、この記事はPSYCHO-PASSの感想記事だったはずなので、PSYCHO-PASSの話に戻ろう。

 

 シビュラシステムは、確かに「難しい問題」を人々から遠ざけてくれる。人間にはしなくちゃいけないこと、たくさんあるんだもの。仕事のこと、恋人へのプレゼント、今日の夕飯、次に見るアニメ――そういうことに考える時間を割けるほうが、答えのない問いを考えるのよりよっぽど有意義だと思うかもしれない。

 

 しかし、不安定な世界で自分を支えてくれる『確信』は、自分の頭で考え抜かなければ得られない。そしてそれほどの思考を要する問題というのは、「答えのない問い」から目をそむけずに立ち向かっていくということに他ならないのだ。

 

 自分で考えなくても、自己啓発本とかでいいんじゃない?と思う人もいるかもしれない。でもそれは『確信』にはならない。考えること・経験することを避けて、人が辿り着いた結論だけを読んでも、それは知識として「知っている」程度にしかならない。自分の存在すら揺らがせる、世界の意味さえひっくり返すような虚無感に立ち向かえるほどの確信を得ることは、自分でとことん考えた人に対して初めて与えられる報いなのだ。

 

 

まとめ

 

  • シビュラシステムは「難しい問い」を人間から遠ざけてくれる。しかしそれは同時に、『確信』を得る機会を失うということでもある。
  • 意味も価値も虚構でしかないこの不安定な世界にあって、自分を支えてくれるのは自分の内側にある『確信』に他ならない。
  • その『確信』を得るために必要なのは「答えのない問い」を「自分の力で考え抜く」ということだ。
  • 答えのない問いを考え抜くことは、その問いに対する直接の答えを与えてくれるわけではないかもしれない。しかし、元々の問いがナンセンスに思えてきてしまうほどの強い『確信』を与えてくれる。

 

 

むすび

 

 3,4巻を再読し終えて、「正義の執行者」ってなんて辛い存在なんだ! とか伸元に対する共感とかいろいろ書きたいことはあったんですけど、結局今回は「他者の目線を意識した記事」に方向転換しました。それもあって、テーマを一つに絞ったと。

 

 訓練が不十分な上に書きながら考えている節があるので、なかなか「人に伝わる」というところまでは難しいと思います。ただ、人の目を意識することで、普段自分が考えるのとは別の思考ルートを辿ることになったので、その中での発見はあったし、普段以上に「一本線で」書くことを求められるので、その分「考えていなかった行間」が浮かび上がってくるなど、いろいろ新鮮な発見がありました。2時間半と約5000文字、かけた甲斐はあったかなと思います……。

 

 これからも「週1回は人に伝えるつもりで記事を書く」ということにしてみようかなと。自分の思考を内部完結でまとめるのとはまた違った角度で物事を見られるので。

 

 それでは!

 

 

監視官 常守朱 3 (ジャンプコミックス)

*1:広辞苑第5版