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ゆらのふなびと

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『こころ』(上 先生と私) 感想 1 ~「自信の低さ」と「罪人意識」は人を幸せから徹底的に遠ざける。

こゝろ (角川文庫)

  実家で読み進める本がなくなってしまったとき、ふと手に取った。その前に『坊っちゃん』も読んだけど、そっちは全然響かなかったんだよなー。冒頭の「親譲りの無鉄砲で子どもの頃から損ばかりしている」という一文からもう合わない気がしていた(なのになぜ読み切ったのか?→cf.コンコルド効果)でもこっちの『こころ』は程よい陰鬱さがあっていい。文学的な読み方はしらないけど、いろいろ思考のトリガーがあったので書いてみます。

 

「自信の低さ」と「罪人意識」

 『こころ』は上中下の3つに分かれている。「上 先生と私」は、学生である”私”目線から”先生”が描かれていくパート。”K”とかはまだ出てこなくて、時々先生や奥さんの発言から過去が示唆されるという程度。

 ”私”は”先生”に魅力を感じ近づこうとするのだが、この先生という人はなかなか心を許してくれない。どこか人を避けているような節があるのだ。

 

私は先生と別れる時に、「これから折々おたくへ伺ってもござんすか」と聞いた。先生は単簡たんかんにただ「ええいらっしゃい」といっただけであった。その時分の私は先生とよほど懇意になったつもりでいたので、先生からもう少しこまやかな言葉を予期してかかったのである。それでこの物足りない返事が少し私の自信をいためた。

 

 私はこういう事でよく先生から失望させられた。先生はそれに気が付いているようでもあり、また全く気が付かないようでもあった。私はまた軽微な失望を繰り返しながら、それがために先生から離れて行く気にはなれなかった。むしろそれとは反対で、不安にうごかされるたびに、もっと前へ進みたくなった。もっと前へ進めば、私の予期するあるものが、いつか眼の前に満足に現われて来るだろうと思った。私は若かった。けれどもすべての人間に対して、若い血がこう素直に働こうとは思わなかった。私はなぜ先生に対してだけこんな心持が起るのかわからなかった。それが先生の亡くなった今日こんにちになって、始めて解って来た。先生は始めから私を嫌っていたのではなかったのである。先生が私に示した時々の素気そっけない挨拶あいさつや冷淡に見える動作は、私を遠ざけようとする不快の表現ではなかったのである。いたましい先生は、自分に近づこうとする人間に、近づくほどの価値のないものだからせという警告を与えたのである。ひとの懐かしみに応じない先生は、ひと軽蔑けいべつする前に、まず自分を軽蔑していたものとみえる。

――『こころ』上・三(p.14)(※ページ数は角川文庫昭和51年第89版。文章は青空文庫より引用。以下同じく)

 

 これめっちゃわかるんだよなー。自分では自分のこと「ろくでもない人間」「たいしたことない」って思ってるから、「すごいすごい」って言われても、「そんなことないのに」って苦しくなる。自分に好意を向けてくれる人間がいても、いつか自分が「ろくでもない人間」だということがばれるはずだ、そうしたらどうなるだろう。「裏切られた」と思ってきっと私から去って行ってしまうはずだ。だから褒めてくれる人がいると辛くて、初めから遠ざけようとしてしまう。深い関係にならないように、予防線を張ってしまう。

 これを普通の人の問題として考えたとき、根本原因は「自分に自信がない」ことだよね。ただ”先生”の場合は「私は幸せになってはいけない」という”罪人意識”が深いようにも思われる。

 

 けれども先生の私に対する態度は初めて挨拶あいさつをした時も、懇意になったそののちも、あまり変りはなかった。先生は何時いつも静かであった。ある時は静か過ぎてさびしいくらいであった。私は最初から先生には近づきがたい不思議があるように思っていた。それでいて、どうしても近づかなければいられないという感じが、どこかに強く働いた。こういう感じを先生に対してもっていたものは、多くの人のうちであるいは私だけかも知れない。しかしその私だけにはこの直感がのちになって事実の上に証拠立てられたのだから、私は若々しいといわれても、馬鹿ばかげていると笑われても、それを見越した自分の直覚をとにかく頼もしくまたうれしく思っている。人間を愛しる人、愛せずにはいられない人、それでいて自分のふところろうとするものを、手をひろげて抱き締める事のできない人、――これが先生であった。

――上・六(p.19)

 

「私は世の中で女というものをたった一人しか知らない。さい以外の女はほとんど女として私に訴えないのです。妻の方でも、私を天下にただ一人しかない男と思ってくれています。そういう意味からいって、私たちは最も幸福に生れた人間の一対いっついであるべきはずです」
 私は今前後のがかりを忘れてしまったから、先生が何のためにこんな自白を私にして聞かせたのか、判然はっきりいう事ができない。けれども先生の態度の真面目まじめであったのと、調子の沈んでいたのとは、いまだに記憶に残っている。その時ただ私の耳に異様に響いたのは、「最も幸福に生れた人間の一対であるべきはずです」という最後の一句であった。先生はなぜ幸福な人間といい切らないで、あるべきはずであると断わったのか。私にはそれだけが不審であった。ことにそこへ一種の力を入れた先生の語気が不審であった。先生は事実はたして幸福なのだろうか、また幸福であるべきはずでありながら、それほど幸福でないのだろうか。私は心のうちうたぐらざるを得なかった。けれどもその疑いは一時限りどこかへほうむられてしまった。

――上・十(p.31)

 

 

 年の若いわたくしはややともすると一図いちずになりやすかった。少なくとも先生の眼にはそう映っていたらしい。私には学校の講義よりも先生の談話の方が有益なのであった。教授の意見よりも先生の思想の方が有難いのであった。とどの詰まりをいえば、教壇に立って私を指導してくれる偉い人々よりもただひとりを守って多くを語らない先生の方が偉く見えたのであった。
「あんまり逆上のぼせちゃいけません」と先生がいった。
めた結果としてそう思うんです」と答えた時の私には充分の自信があった。その自信を先生はうけがってくれなかった。
「あなたは熱に浮かされているのです。熱がさめるといやになります。私は今のあなたからそれほどに思われるのを、苦しく感じています。しかしこれから先のあなたに起るべき変化を予想して見ると、なお苦しくなります」
「私はそれほど軽薄に思われているんですか。それほど不信用なんですか」
「私はお気の毒に思うのです」
「気の毒だが信用されないとおっしゃるんですか」
 先生は迷惑そうに庭の方を向いた。その庭に、この間まで重そうな赤い強い色をぽたぽた点じていた椿つばきの花はもう一つも見えなかった。先生は座敷からこの椿の花をよくながめる癖があった。
信用しないって、特にあなたを信用しないんじゃない。人間全体を信用しないんです

「じゃ奥さんも信用なさらないんですか」と先生に聞いた。
 先生は少し不安な顔をした。そうして直接の答えを避けた。
私は私自身さえ信用していないのです。つまり自分で自分が信用できないから、人も信用できないようになっているのです。自分をのろうよりほかに仕方がないのです

とにかくあまり私を信用してはいけませんよ。今に後悔するから。そうして自分があざむかれた返報に、残酷な復讐ふくしゅうをするようになるものだから
「そりゃどういう意味ですか」
「かつてはその人のひざの前にひざまずいたという記憶が、今度はその人の頭の上に足をせさせようとするのです。私は未来の侮辱を受けないために、今の尊敬をしりぞけたいと思うのです。私は今より一層さびしい未来の私を我慢する代りに、淋しい今の私を我慢したいのです。自由と独立とおのれとにちた現代に生れた我々は、その犠牲としてみんなこの淋しみを味わわなくてはならないでしょう

――上・十四(pp.38~40)

 

 直前の引用をまとめると、 

 

自分に自信がない

→今私を尊敬してくれる人も、いつかは私のくだらなさに気付く

→勝手に「期待を欺かれた」と思って私を傷付ける

→その未然の対処として人を信用しない

 

ということになろうか(上でほとんど同じこと書いてしまったな)。

 

私は未来の侮辱を受けないために、今の尊敬をしりぞけたいと思うのです。私は今より一層さびしい未来の私を我慢する代りに、淋しい今の私を我慢したいのです。

 

 この台詞はもう「抜け出せない」感がすごい。そんなこと言ってたらいつまで経っても自分が作った壁の向こうにいけないだけじゃないか。「自分はいいんだ」って諦めて…自分で自分を苦しめて……でも共感はできてしまう…。

 

 

 そして怖いのが最後の一文。え…?

 

自由と独立とおのれとにちた現代に生れた我々は、その犠牲としてみんなこの淋しみを味わわなくてはならないでしょう

 

「自由と独立と己れ」ってあたりは、夏目漱石の思想に絡むのかもしれないし「現代」っていっても明治だから今と違うのかもしれないけど、とにかく怖い。このフレーズ。何?アイデンティティとか共同体の解体とかそういう話なの??

 

 

 「自分に自信がない」あるいは「幸せになっちゃいけない」という意識。こいつらは徹底的に自分を幸せから遠ざける。じゃあどうやってこの原因たちを潰すか?

 

1.「自分に自信がない」について

  • 完璧主義を捨てる(捨てさせる)

 欠点があってもいい、それで当たり前だよって。これを伝えようと思ったら、自分の欠点をさらけ出したらいいのかな?「ほら、私だってこんなダメなとこあるよ!みんなそうなんだよ!」って。でも自分に自信がない状態だと何かと「でもあなたはこうじゃないか…」って言いたくなっちゃうんだよなあ(これは経験論)。えー…?

 

  • 敢えて欠点を指摘してみる

 でも、責めるんじゃなくて。「君はこういうところができないよねー。でもこれできるしいいとこいっぱいあるからいいよね♪」みたいな。要は、「欠点がばれても嫌われなかった」という意識を与えることが狙い。上の「完璧主義を捨てる」にも似てるけどね。自分でも、「俺はこれ苦手だけどあれはできるし、得手不得手が千差万別なだけさ」と割り切ることはできる(かといってこれを苦手なことから目を背けるために使ってしまうと性質が悪いのだけれど)。

 

2.「幸せになっちゃいけない」について

 これはなあ……優しい環境を整備したらあとは時間が解決してくれるのを待つしかないような気がするなあ…。過去の根深い原因に起因する意識だから、その分解決には時間がかかる。

 罪人意識の原因としては3つ思い浮かんだので、それぞれ対策を考えてみる。

 

  • 過去に悪いことを実際にした

 思い込みではなく実際したというケース。これは更生施設とか宗教者さんが詳しいのかもしれない。個人的に考えたのは、「罪」というのは「反省」「謝罪」「償い」が満たされれば解決なのかなということ。例えば、人の大事なものを壊してしまったとしたら、

 悪かったなと思っていて(反省)

 本人に誠意をこめて謝って(謝罪)

 必要なら弁償する(償い)

が終われば許せるんじゃないかということ。この3つをちゃんとやっているなら「君はもう為すべきことをしたんだからいいんだよ」と言ってあげたい。

 ただ、大きな罪であればあるほど「反省」は永続的に求められる。この状態で自分の幸せを求めることとのバランスは難しい。あるいは人を殺してしまったとかだったら「謝罪」はできない。謝れないまま死んじゃったというケースもあるだろうし。

 罪を犯した人間には「あいつあんなことしたのにあんなに楽しんでていいのかよ」みたいな厳しい社会の目が向くんだろうな…でもそれを自分の内部に持ってしまうと辛くしかない気がする。わーん。

 

  • 過去の出来事で、「自分のせいだ」と思っていることがある

 実際に自分の罪ではないけど、解釈の問題だというケース。例えば、目の前で友達が車にひかれて死んで、それを止められなかった、助けてあげられなかったみたいな意識はここでしょう。あるいは全くの検討違いのようなものも含む。

 全くの誤解の場合には、説明すれば解決するでしょう。前者の場合は「神様にはなれない」という自覚かなあ。そりゃ目の前で友達死んだら辛いけどさあ……何かしてやれたんじゃないかって思うけどさあ……でもその友達はたぶん僕たちがそうやって自分を責め続けることを望んではないよね。ああ、そんな説得ルートな気がする。

 

  • 差別・他者による洗脳(ex.○○人は○○人の奴隷/私は悪魔の子)

 対処はもう社会に任した。むしろ原因の解決について考える。

 差別をなくす上では「教育」のなす役割が大きいなあと感じる。たとえば「男性は外、女性は家」っていうバイアスだったら、僕らは「男女雇用機会均等法」やら「男女平等」という考えを教え込まれてる(?)わけで。だからこそ社会に男女平等が「当たり前」と思える人間が増えてくるわけで。それでも随分な時間がかかるけどね。根本原因を解決する(差別をなくす)にはこういう時間のかかる方法しかないんじゃないかなと思うし、失くしたい差別・誘導したい思想に基づいて教育の中身を策定していけばいい。(教育も一種の洗脳だから、善く使うことが求められるよね…。)

 

考えたことのまとめ

  • 「自信の低さ」と「罪人意識」は人を幸せから徹底的に遠ざける。
  • 「自信の低さ」への対処は「完璧主義を捨てる」「敢えて欠点を指摘してみる」の2つが思い浮かんだ。後者は責めるのではなく、「ばれても嫌われなかった」という意識を与え、「欠点があってもいいんだ」と思わせることが狙い。
  • 「罪人意識」は過去の根深い原因に基づく。原因は「1過去に悪いことを実際した」「2過去の出来事に”自分のせいだ”と思っている」「3差別・他者からの洗脳」の3つにわかれるのではないか。
  •   1⇒罪は 反省・謝罪・償い が満たされれば解決ということにする。
  •   2⇒神様にはなれないと自覚する。
  •   3⇒(対処は放棄したけど)根本的解決は教育により可能。
  • いずれにしろ時間のかかる問題である。

 

 「上」の部分だけでもいろいろ書きたいことはあるのだけれど、長くなってしまったので今日はもうおしまい。

 

 

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