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運という不確定要素に向き合う。『マルドゥック・スクランブル』 感想 3

 感想2で書いた「自分の人生と向き合うこと」と被る部分もあるが。マルドゥック・スクランブル2・3巻ではカジノが主な舞台となることもあり、「運」にまつわる様々な興味深い言葉が散りばめられていた。

 

 

・(2 p.280 ベルウィング)
運命の輪は二重だ/左へ回れば悲しみを運んでくる。右に回れば喜びを運んでくる。右回りの運命を呼び込むことが、あたしの人生との付き合い方なんだ」

 

 これは全く文脈とは関係ない解釈だけれど。運命の輪が2重だと考えれば、ちょっとくらい悪いことがあっても気にする必要はない。たとえ片方の輪が左回り=マイナスの方向に回っているんだったとしても、それをちょっとだけでも上回るようにもう片方の輪を右回り=プラスの方向に回したらいいのだから。「何が何でもいいことばっかりじゃなきゃイヤ」という極端な論理から離れられる。

 

 

・(3 p.14)

 不確実な綱渡りを成功させる鍵は、決して運だけではない。操作不可能なものはさておき、自分にできることは全てやるからこそ綱渡りにも意味が生まれるのだ。そしてそれこそ、ゲームの戦術以前にドクターやウフコックから教えられたことだった。

 

 「どうせ運次第だから」と何もしないのではむしろマイナスになる。不確定要素の高い中でも、自分次第でなんとかなる部分もきっとあるはずで。そこから目をそむけずにひたすら向かっていくことが、ドクターやウフコックの目指したものであり、バロットもまた目標としたところなんじゃないだろうか。同じ意味で、次の言葉も響く。

 

・(2 p.285 ベルウィング)
 「運を右回りにする努力を怠ってはいけないよ/なに、難しいことじゃない。女らしさを磨くのと一緒さ/いるべき場所、いるべき時間に、そこにいるようにしな。着るべき服、言うべき言葉、整えるべき髪型、身につけるべき指輪と一緒に。女らしさは運と同じさ。運の使い方を知ってる女が、一番の女らしい女なんだ。そういう女に限って運は右に回るのさ」

 

 「自分がなすべきことをなす」「自分にできることをする」。とにかく「自分の人生に」「自分で立ち向かっていこう」というこの物語のみんなの基本姿勢がひしひしと感じられる。

 

 

・(3 p.187/p.191 アシュレイ&バロット)
「君は、運について考えたことがあるかね?」
≪悪いなって。よく思ってました≫
「まあ、人生そういう時期もある」
 アシュレイはあっさり言った。
「しかし運というものが我々を支配していることについて、考えてみたことは?」
≪自分が悪いんだと思ってました≫
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「河の流れをせき止めれば水は溢れる、支流に分かれれば水かさは減る、雨が降らなければ河は干上がる――必然的に。運はその河の流れのようなものだ。河の流れが、本当にあるかないかなんてことには意味がない。問題は、河は流れ続けてるってことだ。誰もがその河の流れの中で生きてる。河に逆らって溺れる者もいれば、泳いでいる者を後ろから沈めて自分だけ浮き上がろうとする者もいる。だが河が教えることは、その流れと一体となったとき、そいつは河自身になれるってことだ」

 

 流れに身を投げ出す(ただ過ぎ去るのを待つ)のではなく、「なすべきことをなす」。それによって、不確定要素の絡む人生であっても、「自分の人生」として歩んで行ける。

 点線の上側は、バロットの過去の姿だ。「運が悪いんだ」「自分が悪いんだ」…どちらの考えも、解決には向かっていない。被害者的/他罰的になるのではなく、大事なのは「今自分に何がなせるか」。それを常に考え行動に移していくことが、与えられた人生に向き合っていく方法なんだ。