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ゆらのふなびと

競プロ, Python, C++

「死の自覚」が「人生と向き合うこと」とはどういうことなのか?

いつか来る自分の死を自覚したとき、この楽園を出る必然性が、自分の中で生まれた

(『マルドゥック・スクランブル 2 燃焼 p.60 ウフコック)

 

 マルドゥック・スクランブルを読み終え、振り返りに入っている。「これが核なんじゃないか」かつ「自分が”大事にしたい”と思えるもの」が見つかりはしたが、上の言葉にまだ実感が湧かない。

 今日たまたま見たスティーブ・ジョブズスタンフォード卒業式スピーチでも同じようなことを言っていた。

 

「明日死ぬとしたら、それは本当にやりたいことか?」毎日鏡に問いかける。この問いの前には、自意識、プレッシャー、羞恥心、その他もろもろの束縛はすべてふっとんでしまう。(←だいたいこんな感じ)

 

 彼はその意味で「死」は「有用な概念」だとまで言っていた。

 

 「明日死ぬとしたら」という問いは今日もしてみたしこれまでも何度か考えたことはあるが、今の自分には現実感がなさ過ぎる。入院の一つもしたことがないんだし(感謝すべきことなのだけれど)。しかも、特に「やりたいこと」がはっきりあるわけでもない。

 死の恐怖を感じたことがない人間は「漠然とした不安」しか感じることができないわけだが、この点も、そして「やりたいことがまだ決まってない」という点もたぶんウフコックとは同じだったわけで、なのになぜウフコックがこういう考えに至ったかが掴みきれない。しかも「生きることと向き合うこと」は割とこの物語の核だと思っているのでぜひここは掴んでおきたい。

 

エロゲを『血肉化』するにはこの2つを徹底的に繰り返すしかない(7496文字) - 猫箱ただひとつ。

 

 「言葉を考え抜く」ことについてはこちらのべるんさんの記事で読んでモチベーションをもらったので、明後日の帰りの新幹線とか使って考えてみよう。

 

マルドゥック・スクランブル―The First Compression 圧縮 (ハヤカワ文庫JA)

 

 右のちっちゃいネズミがウフコック。