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ゆらのふなびと

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『夜と霧』

わたしたちはためらわずに言うことができる。いい人は帰ってこなかった、と。(p.5)

夜と霧 新版

 心理学者ヴィクトール・フランクルの著。原書は1947年初版だが、今もなお読み継がれる名著だ。*1

 本書は著者の強制収容所での体験をつづったものだが、被収容者の変化を心理学の立場から考察していく部分が興味深かった。描写もそれほどグロテスクではないので、いわゆる戦争ものに抵抗のある人でも手を止めず通読できるだろう。

 

 強制収容所に投げ込まれた人々は、まず「やけくそのユーモア」を経験するという。

わたしたちはもう、みっともない裸の体のほかには失うものはなにもないことを知っていた。早くもシャワーの水がふりそそいでいるあいだに、程度の差こそあれ冗談を、とにかく自分では冗談のつもりのことを言いあい、まずは自分自身を、ひいてはおたがいを笑い飛ばそうと躍起になった。(pp.24-25)

 次に来るのは「感情の消失(アパシー)」だ。家族に会いたい、ここから抜け出したいという希望は抑圧され、暴力やひもじさの中をただ無感動に生きるようになる。しかし、ここにフランクルの主張がある。

 人は強制収容所に人間をぶち込んですべてを奪うことができるが、たったひとつ、あたえられた環境でいかにふるまうかという、人間としての最後の自由だけは奪えない。(p.110)

 この主張こそ、フランクルの著書が長年にわたり人々を惹きつけてきた理由であろう。アウシュビッツなどの地獄のような環境にあっても自分がそのように思えるかは疑問だが、少なくとも「どういう気持ちでやるかは自分次第だ」という意識は不条理な目に遭った時、救いになるだろう。

 

 解放後も、人々はすぐ幸せを取り戻せたわけではない。そこに待っていたのは完全な「精神の弛緩」だった。

「なあ、ちょっと訊くけど、きょうはうれしかったか?」

(中略)

「はっきり言って、うれしいというのではなかったんだよね」(p.149)

  自由という感覚を現実として感じることができず、夢にまで見た「外の世界」は心を少しも動かさない。フランクル曰く、強度の「離人症*2」である。また、「潜水病*3」にも似ているところがあるという。もちろん記憶に苦しめられる人もいれば、待っていてくれると信じていた家族にもう会えなかった人もいる。解放されてそれでハッピーエンドというわけではなかったのだ。

 

 強制収容所での現実の一端を知ることができるとともに、心理学の見地を学ぶこともできる一冊だ。本文も157ページと比較的短いので、一読の価値はあるだろう。

 

 

*1:「ですます」よりこっちの方が書きやすいので、今回からこっちにします

*2:「現実感の喪失」「自分が自分ではないような感覚」とでも言えばいいのだろうか。参考:離人症性障害 - goo ヘルスケア

*3:高圧の環境から急に水面に出ると減圧により障害をきたす。強制収容所での強い精神的な圧迫から急に解放された人間にも同じことが起こるとフランクルは述べている。